先週のGoogle I/Oでは、本当に色々な発表がありましたね。お手頃価格のタブレットPC、SF映画に出てくるような球体のホームシアター端末、ぐっと洗練された検索システム、そして最新OSのAndroid 4.1「Jelly Bean」。しかし彼らは、人に対する理解がいかに欠落しているかも露呈してしまったようです。
以前グーグルのプライバシー問題について指摘しましたが、まだ何かするつもりでしょうか? 実在する人間にサービスを提供するだけでは物足りないのでしょうか...?
基調講演では華々しい話が次から次へと発表されました。ウェアラブル・コンピュータの「Project Glass」、現在位置や時間をもとに生活情報を提供してくれる「Google Now」、世界初のソーシャルメディア・ストリーミング・メディアプレイヤーとして発表された「Nexus Q」、そしてGoogle+には魅力的なイベント招待機能。でも、こうした新技術の数々に疑問を抱きませんでしたか?
「グーグルのプロモーションビデオに出てくる俳優以外で、誰がこれを使うんだ」って。
今回の発表は、実に素晴らしい内容でしたよ。彼らの意図もよく分かりましたし、たしかに団結力の強い組織だと思いました。でも、あの会社には「技術で人々の生活を楽にしたい」と考えている天才しかいないんです。その野望について疑問を抱いたり否定したりする人がいない。だから私たちは解釈に困るんです。はたしてこれらは一般人向けのサービスなのか、それともシリコンバレーの内向的なオタク向けのサービスなのか。
...どうやら正解は後者のようです。
彼らの努力やイノベーションに欠けているものがあるとは思いません。ただ、データに取り憑かれたギークたちとそのほかの人たちが見ている世界は、あまりにもかけ離れているのです。
たとえばNexus Q。脈打つ光が美しいこの球体オブジェクトは、未来的で親しみやすい雰囲気を持ち、「友達と一緒に音楽を聴いたり映画を観たりするのが簡単になる」という表面的なゴールまで兼ね備えています。このプロジェクトの話を聞いて反対する人は、あまりいないでしょう。でも、グーグルが想定している利用シーンを見てみてください。あなたは友達の家に遊びに行ったら、いきなり彼女のQに自分のNexusをぶつけてNFC通信を開始し、ようやくソファーに座ってホームシアターでストリーミングコンテンツ楽しむらしいですよ。うははは。
私たちはただ、プレイリストを共有したり、TVを観たりしながら飲みたいだけ。なのに、どうしてスマートフォンやタブレットにそこまで気を奪われなきゃいけないんでしょうか。だってそんなの楽しくないですよ。どれほど現代的で気が利いたデザインだろうと、友達と一緒に好きなことをするために大量のメニューが割り込んでくるなんて、明らかに社会的ではありません。Androidのエンジニアでもなければ、これを楽しいと思って買う人はそう多くないんじゃないですかねぇ。
同じような虚無感は、のこりの発表についても感じました。たとえば、Googleメガネこと「Project Glass」はとてもすごい製品です。これまで映画や空想の世界で見てきたものがプラスチックと金属だけで実現するという、超クールなアイデアですよね。グーグルは、一般人がああいうガジェットを身につけて歩きまわる時代がすでに来ていると思っています。でも現実はどうかって? それはご存知のとおり。みんな億万長者の変人ギークではないし、一日中アレをつけて歩く自分が人からどう見られるか気にならないほど浮世離れしているわけでもありません。この製品は「技術」ではなく「カルチャー」が飛躍してしまったのです。
だって一日中コンピュータが顔にくっついてる状態って、社会人としてビミョーに抵抗ありません? たしかにスマートフォンは毎日の生活にとって欠かせない存在です。でも使わないときはポケットやカバンにしまってますよね。ところがGoogleメガネは使わないときも顔の一部になっていますから、ちょっと話が違います。あなたは赤ん坊に恐怖を与えるサイボーグになっているかもしれませんよ。「サイボーグは変人ではない」という認識がまだ世間に浸透していない状況で、ロボ顔に見合う機能は何か提供されるのでしょうか...?
Googleメガネを自然に使うにはどうしたらいいのか。私たちが最も気にしている部分について、グーグルは汗をかいているようには見えません。私たちが普通の生活を送れるかどうかなんてどうでもいいのです。彼らの論点は、私たちがあの大胆な未来構想に喝采をあびせるかどうかなのですから。
アプリケーションも似たような感じです。実際にGoogle+を使ってる人なんてほとんどいないのに、先週追加された主要機能はなんと「パーティーを企画して共有するイベント機能」です。これを使えば、パーティーのひととき、あなたの考え、分析などを、気になるあの人と共有できるんですって。まあホントにそうならいいんですけど、Google+の「パーティー・モード」では、パーティーに必要なことが満たせないんですよ。このサービスのどこに人間がいるのか分からないのです。
フェイスブックのイベント招待機能はそっけないけど、あれは機能していますよね。私たちは情報を広めたいだけですから。一方、誰もいないGoogle+にアップロードするイベント招待画像を一所懸命選んだり、ましてやイベント実況したりしますかねえ。あれがサークルなのかパノプティコン(中央に監視室があり、そのまわりを独房が囲むサークル状の監獄)なのか、ときどき見失いそうになりますよ。
それに、グーグルはネット上の「ハングアウト機能」と現実世界の集まりを混同しているように見える。ふつうの人が求めているのは、パーティーのクライマックスにバーチャルなサークルへ誘導するようなサービスではなく、仲間と一緒に過ごす時間なんです。グーグルはそれを簡単にできるようにしてあげるべきであって、現実世界よりも難解なシステムへと誘うべきではないと思います。
Google Nowは、確実にSiriより優れた史上最高のモバイル検索ですよね。複雑な質問にも答えられるよう普段から私たちの動きや好みを追跡し、どこでごはんを食べているのか、どこに住んでいてどこで働いているのか、その生活すべてを把握していると思われます。グーグル自身も、Androidの検索は一流だとうたっています。でもこれって、私たちが自分の行動を追跡されたり記録されたりするを快く思っているという前提で作られていますよね。まるで「そんなの誰が気にするんだ? どうして君たちは、自分だけの生活を知り尽くして将来を予測してくれるコンピューターを拒絶するんだい?」という声がきこえてきそうです。
もしかすると、グーグルはその賢さゆえ、ちょっぴり盲目的になっているもかもしれませんね。この企業は、未来を創造したいと願う人々が集まった誠実な専門家集団です。だからこそ大切なことを一つ。「未来」は私たちの生き方を豊かにするべきであって、私たちに生き方を押しつけるべきではありません。Google+は超クールかもしれませんが、肝心なのは「誰にとってクールなのか?」ということです。
道具の力や正確さが、人格に取って代わる。そのことについて、私たちは少し立ち止まって考えたほうが良いと思います。ときには意図どおりの結果が得られるとしてもね。
ウェアラブル・コンピュータを顔につけたり、電話にランチの場所を予測させたり、パーティーで部屋のすみっこに座ってほかの人たちが楽しんでいる写真を見ていたり...。いま、テクノロジーに対する誤解と驚異が私たちにのしかかろうとしています。グーグルは感動的な製品をたくさん作っていますが、それはみんなが本当に欲しかった「感動的な製品」でしょうか?
なお、この件についてはグーグルに米ギズモードでコメントを求めています。なんらかの反応があり次第、追ってお伝えしますね。
Sam Biddle(Rumi/米版)